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四部合唱「経ケ岬」より夫婦のタンゴ

さて、木曜金曜有給休暇、八字熟語を引っ提げて土日と繋げて四連休が我々夫婦の最初の旅でした。やはり旅というからには、この島国の端っこへというのが私達のいつもの共通意見ですから、未だ立ちぬ経ケ岬に行きませう。

私たちが目指す経ケ岬灯台は、第1等灯台で、これは最も大きなレンズであることをさします。 大きなレンズは、とても明るくそれだけ遠くまで光が届きます。 真っ暗な黒い海の上に正真正銘の真っ暗闇があり、一線の光がくるりくるりと一定の感覚で届きます、 しかし、私はその光の先端に触れたこともなければ、見たことも話を聞いたこともありません。 それでも私はその光の明るさとその到達を信じ、そしてその暖かさを信じ、今まで生きてきました。

多くのいわゆる半島の先っぽにある灯台とは、孤独の塊であって、その孤独と挨拶をするには時には少なからずの時間と労力がなければなりません。 私たちは、まず天橋立は真名井神社の御加護を受けて、地元のユースホステルで一泊し心を落ち着かせ、伊根の舟屋を周り海上生活を見渡して、 土地のものを食べ、土地の酒を飲み、途中何度も旅の途中と丹後バスの時刻を確認しながら、旅風情を楽しむ必要があるのでした。

例え旅の中でも、いつもの日常生活を全て忘れることなど出来ません。 忘れてしまえばきっと帰ることが出来なくなるでしょう。 旅とは、いつか元いた場所に帰るから旅なのであって、特別なものに仕立て上げてこそ旅とも言えます。 かと言って、旅が遊園地のように楽しいかと言えば、多くの場合、それは嘘です。 旅はほどほどに寂しく悲しく、孤高であれば尚良いというのが私の持論です。 旅を楽しくしたいならば、一所懸命でなければなりません、旅を孤独にしたいならそのままでいいのです。

いよいよ、私たちは天橋立に着きました。 落ちているたくさんの松ぼっくりの形の良いのを探しながら、一時間かけて参道を歩きました。 途中夫婦松で記念写真を撮りました。途中金色の頭をした水着姿の外国の一団が砂浜に寝そべり読書などをしながら異国情緒を出しているのを眺めたりしました。途中どうみても夫婦に見えない若く細い男と年上の女が、小さい女の子を抱えているのを見ました。それぞれの前後の危険な話を想像しながら、私達は長いこと楽しい歩みを続けていけるのでした。そこで拾った一番形の良い松ぼっくりは、私のワイシャツのポケットへ、残念ながらその二日後京都のホテルに忘れられ、一緒に東京に帰ってくることはなりませんでした。思えば彼は、こんな喧騒甚だしい都会の街には来たくなかったのです。とても悪いことをしたと今でも後悔しています。

私たちが今夜寝床にする天橋立ユースホステルは、由緒ある真名井神社のお膝元にあって、見たことのない大きな蛾が門番のように、ホテルの看板に張り付いているのでした。神社に湧き出る神水は、遠方からも汲みに来るくらい神聖なものであり、一歩足を踏み入れればそこはパワースポットなる土地であることを肌で感じることが出来るのでした。暑い暑い日でしたが、どこかひんやりと冷たく、木々や虫たちも揺れながらも黙っているような気配、神聖と呼ばれる場所はいつだってそんな雰囲気を持っているものです。

私は手を合わせ、自分がどこから来た何者かをゆっくり申し上げ、今日一日の感謝を伝えました。そして私はどこへ向かおうとしてるのか、それは神のみぞ知るなんですね、と一人ごち、なんだかんだ頭を巡らせた後で申し訳ありませんと結局頭を下げてしまうのでした。続けて私がこの神聖なる雰囲気の端っこでも写真に収めようと企んでいると、彼女は私に、こんな神聖な場所にカメラを向けるとはとんでもないことだと怒り心頭で突進してきましたから、反省をする間もなくヘラヘラしていると、尚も怒らせたようで、私がどんな言い訳をしてもなかなかその怒りは静まらないのでした。二礼二拍手一礼、全ての礼は謝罪になり、彼女が私を許してくれるのは、夕食の刺身の舟盛りまで待たなければならないくらいでした。

ホステルでは、男二人と女一人の仏蘭西人がバルコニーで酒を飲み続けておりました。私達は、ソファに腰を下ろし、彼女は石ノ森章太郎の漫画日本の歴史を読み続け、私は私で何読む気になれず、目線を自由形で泳がせていたのでした。そばでは私達より先に来ていた私と同い年くらいの男がすでに軽装で、やはり私と同じように何するでもなくじっと、こちらは背泳ぎ型で腰掛けております。

夕食後も時間はゆっくりと過ぎていきました。駒の足りないダイヤモンドゲーム、整頓された旅行雑誌、何冊にも渡る旅行者たちが繋いだ日誌、中には日本三周目に向けての祈願や、この場所に季節労働していた女の感謝が綴られていおりました、私は彼らの通った線の上にいて、誰の頭も超えることは出来ない一抹の羨望と、右足の親指あたりからせり上がってくるような満足感を感じながら、明日丹後の先っぽに自分を居場所を置きに行くつもりです。

六時半起床、バルコニーで読書する。自宅ではなかなか早起きはできないものですが、何故か旅先では一早く起きるものです。その理由は誰もが共通して持っているものだと思うので、あえて申し上げません。 知らない街で、知らない国の、知らない人の本を読むことの贅沢さを感じながら、私は私の本を読んでいる。私が今確実に知り得ていることは、ここから一番近いトイレの場所と、彼女の寝相の良さなのでした。それはとても贅沢な時間に思えるものでした。

私達は真名井神社にお参りをし、500mlのペットボトル二本に水を汲みました。埼玉県から車を走らせて水を汲みに来たという中年の女性と挨拶を交わします。8時前朝食、とうとう同い年くらいの旅人とは話さずじまいでした。彼女が後で、あの人はきっと私達と話したかったのよと話してくれました。確かにそうかそうに違いなかったと合点がいきます。私がトイレから帰ってくると先程まで私がいた場所にいるかと思えば、私の隣をするりするりと抜け、別の場所に座る、そこにいたりあちらにいたり、自意識過剰か、全くの勘違いかもしれませんが、きっと彼は私との接触を求めていたのでしょう。

旅とは、結局孤独を愛する行為ですが、人と話し別れることもその醍醐味です。その視点に立てば、私はなんて我がままな男だったろうと思います。ああ実に悪いことをしたものだ。しかし、私があの旅人ならば思うわけです、これも私の旅なのだと。

八時半、ひと気のない神社前を予定通りバスは通過します。私たちは無人バスに揺られながら眠り直すのでした。次第に車窓にはっきりと青色が混ざり、それをとらえようとするけれど再び遠ざかり、やがて光が射すまで瞼の裏に束の間の夢を映す。その夢にはまだ見ぬ白亜の面影をぼんやりと浮かび上がらせるも、そのうち柔らかく、やがてキラキラと強い海岸線の光によってはじかれた。遠く子どものはしゃぐ声が聞こえたのは、耳から染み込んでくる音楽の絶妙な効果なのでした。そうして、私たちはバスからもはじき出されたように、ふと気付けば郵便局の前に並んで立っているのでした。

私たちは伊根の灯台を目指します。舟屋と舟屋との間に見える隙間から覗く港の海は、何色もの水彩絵具を垂らしたように、朽ちた建物にも反射し、フレームの端っこでトイカメラのように色は歪むから、ノスタルジックに見せるのでしょうか。写真を切っても同じようには決して映りませんでした。我々の行為を妨げるのはいつだって光と影であり、本来その機会は身近にあるはずなのに、私たちの生活では、そのことにあまり気付かないものです。当然のように続く日々の生活においては、その瞬間さえも面倒臭いというように目を瞑るようになってしまったのかもしれません。

伊根湾の入り口に立つその真っ赤に着色された灯台は、干したイカの連なりと地元の釣り人を従えて、私たちを満足そうに見下ろすのでした。午後の明るい日差しを浴びているせいもあって、イカの周りでミツバチが飛んで行くのをたまによけていると、どこか異国のダンスを見よう見まねでしているような気になり、今まで訪れた灯台とは異なって、明るく健康的な場所と思えるのでした。

たまに孤独ではない灯台と出逢うこともあります。灯台とはそう何度も会えるわけではないので、その一度きりが逢瀬と考えております。まず最初に真っ直ぐ見つめてやり、プレートを撮った後で、続けて色々な角度から写真を何枚も撮り、やがてその行為は自分を満足させるものではないと知り、隣に座る、時折彼(彼女)がそこにいることを確かめるように見上げ、それを、何回か繰り返したのち、ここに来たことで、新しい感情を探しながらも、結局はこの気持ちが過去の複数の思いに繋がっていることに気付く。やがて私の息子、もしくは娘が、もしかして同じく灯台を好きになるとは思わないまでも、旅の途中でふと灯台を訪れた時、私の撮った写真を思い出すかもしれない。彼、彼女には勿論その時の個人的な感情が渦巻いている。物語はそうして続いていく。だから、今この時も、私には決して止まっているわけではないと思える。それは、遠方より来て私の何かと接続し、また彼方へと繋がっていく。私の物語は遠い場所を結ぶ円を描いて、いや、もしかして小さな円をぐるぐると回っているだけのことかもしれませんが、少なくとも他の場所から引き継いできたものなのだと思います。

経ケ岬灯台へは、バス停から随分と歩きます。徒歩では、灯台の下のパーキングまで三十分、灯台までの山登りが三十分、ちょっとした覚悟がいるのでした。帰りのバスの時刻を確かめてから歩き始めます。この道程はどの灯台ともなんら変わることではありません。毎度なことでありますが、灯台守の過酷な生活を思いやりながらも、くだらない冗談を飛ばしながらも、二人の顔は嬉々としている。これは互いの灯台への思いを計り知る道程なのです。

実際経ケ岬灯台への山登りは大変でしたから、その後で会えた灯台の優しさ、凛々しさと言ったらありませんでした。実は私たちの後に年配のカップルがついてきておりましたが、おそらく途中私たちが遠回りをした為に、同じ方向に舵をとり、疲れ果て自らを失い、だから言ったでしょとお互い罵り合い、挙げ句の果て灯台も何もかも忘れて、もう帰りたいと言って降りていったのかもしれません。その後彼らの姿は見ませんでした。私たちが意気揚々だったことで、彼らの人生を狂わせてしまったかもしれません...

経ケ岬灯台の敷地に足を踏み入れると、実際に灯台が立っている場所は階段の下にある為、灯台の顔が目の前に現れます。それはなんと言いましょうか、小さい頃に好きだったマジンガーZが膝をつき、私たちの目線に合わせてくれるような、もしくは、山から降りて来た優しいダイダラボッチが身を屈め何かを語りかけてくれるような、とても真剣に私たちを見つめてくれるのでした。

灯台を背に眺める景色はいつも雄大で、私の心をまるごと包み込むようです。はるか眼下の海を渡る風の音はさすがにここまでは聞こえずとも、名もなき鳥たちが風を一掴みして昇ってくれば、今まさに灯台と同じように私も景色の中に一員として溶け込むのでした。あちらこちらで蜻蛉の群れがアイドリングをしたまま場所を譲ってくれず、彼らをよけながらゆっくりとゆっくりと灯台の周りを歩きました。

短い時間でした。私たちには帰りのバスがありましたから、残念ですが長居は出来ないのでした。何度か振り返り、何度もさよならを告げました。何度告げても向こう側に気持ちが積み重なることはなく、むしろここにいる実感というか現実感が今ここより離れていく心地がして、それはとても寂しい気持ちですが、決してそんな一言で表したくないような、とても空虚な胸のうちになるようで実に哀しく感じるのでした。灯台との別れはいつもこんな具合なのでした。

帰り道、私は冗談で彼女に灯台を思いっきり抱きしめたかいと尋ねました。以前訪れた伊勢の煉瓦造りの菅島灯台で、彼女が小さい身体をめいいっぱい広げて、抱きしめていた画を思い出したからでした。思えば、菅島灯台の時も、私は今回と同じような哀しさを強く感じたのでした。よくぞ聞いてくれたというように彼女は勿論抱き締めたよと答えてくれました。それは故意に私の見えないところで行ったのではなく、彼女にとってそれはごく自然な動作だったのでしょう。その様子を私がただ見ていなかっただけのことだったのです。彼女は、灯台を抱きしめるという行為を一つの儀式として随分前から決めていたのかもしれません。眩しさに染まったその大きな躯とその温かさを抱きしめる小さな彼女を想像するだけで私はこの場所に来て本当に良かったと思うのでした。

神社から汲んだ水も空っぽになり、無性に炭酸ソーダが飲みたくなっても、経ケ岬のバス停に自販機はなく、二人じっと座り込んで静かにバスを待ちました。とても長い長い日でした。その間、灯台へ向かうバイクに乗った若者一人と、車で来た家族四人を見送りました。私たちはそれからも二人でいました。とても心強くいたのでした。(2012/11/08)